由来。
- 三角
- 2021年3月20日
- 読了時間: 4分
未完成とはさぞかし、よいぞ。
そう思うようになれただけ少しは成長したのかもしれない、
どうも三角です。
ポートレイトvol.1 -あおりんご- が
発売されて約一か月が経ちましたがみんな聴いてくれたかしら?
CDの件についてはとってもお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。
待っててくれて、手に取ってくれて、ありがとう。
さてさてこんな始まりで文章を書き始めたと思ったら
すっかりあおりんごについてお話すると思ったであろう!!
そうです。
今回は違います。
前回も言っていた通り、本当はアルバムについて話したいことが
腐るほあるのだけれども。
やっぱりせっかく聴いてくれた人たちに好きに感じてほしいから。
私がいろいろ話すのはもうちょっと感想聞かせてもらったあとででも。
ただ一つだけ、今回のアルバムに込めた思いが一つ。
「未完成」
そんなコンセプトで、だからこそいろんな一面が見えるそんな
アルバムに仕上がったかなと思います。いっぱい聴いてください!
だからこそこのタイミングで語ろうと思った。
そう、今回は
「未完成ポートレイト」の由来やそれに関するエピソードについて
お話出来たらなと思っております。
そもそもポートレイトとは何なのかって?
肖像
人物写真
胸像
生き写し
(Wikipediaより)
ふむふむなるほど…。
その通りである。
そんな「ポートレイト」という言葉。
なぜこの言葉が好きになったのか
そしてなぜポートレートではないのか、と。
思った方もいらっしゃるであろう。うむ。
きっかけは私の好きな劇団員育成ゲーム(今はアニメもあるよ)でのこと。
表現者になるまず第一関門として、あるのが
「恥を捨てる。」である。
あんまりデキナイジャン・・・だって恥ずかしいジャン・・・
と今でも思うことがある。
だからこそそう思わないために
同じチームの劇団員に自分の"過去一番後悔したこと"をテーマに
一人芝居を見せるのである。
それをどうやら演劇界では
「ポートレイト」というらしい。
なるほど合点かっこいいじゃん!!
私たちはユニットとして活動する前から
バンドとしても何年も一緒にやってきたけれど。
何回世が明けたかもう語りつくせんほど
色んな事を語ってきた。
というかまず自分の作った曲とか歌詞とか、今でこそ
普通になったし寧ろ聴いてほしいけど
最初の頃なんてパンツ脱ぐよりも恥ずかしいからな!?
ということで、そんな私たちなりの積み重ね。
そんなお互いと自分と向き合ったそれこそが私たちの
「ポートレイト」
結局英語直訳と大して意味は変わらないんだけども。
演劇という違う芸術とのフロマージュ、こりゃいいやん。
そして事は 「未完成」 に至る。
未完成とは
[名・形動]まだ完成していないこと。でき上がっていないさま。未完。
(国語辞典より)
ふむふむなるほど合点・・・・・・
んん・・・???
完成してないとか出来上がってないとか、なんかイメージ悪くない???
と思うのが直感的かなと思います。
だって実際
納期に曲ができない(未完)
仕事間に合わない(未完)
そんな感じだもの、未完成って。
けど自分の人生、それこそポートレイトよ。
そんなものと向き合ったときに
自分は完成しています!と胸を張って言える人はいるだろうか。
生物として生きる私たちの完成ってなんなんだろうか。
ううむ。
私はそうは思えないなぁ。
だって三年前言ってたこともう覚えてないし(ぼけ)
昨日の晩御飯でさえ思い出すのに時間かかるし(ぼけ)
そんな小さいことにしろ完成や完璧といかないのに
自分の人生ときたら・・・・。
目標だって常に変わるわけで
そんな中で自分が完成しきった!と言えるだなんて
そんなのちゃんちゃらおかしい。
なんて考えて。
もしかしたらきっと私たちは生きている間中
未完成なんじゃないかなぁ。
・・・・・・・!?
これだ。
激エモウルウル丸ktkr(なんでか知らんけど頭にぴえんの顔浮かんだ)
そんなことがきっかけで未完成という言葉が好きになったわけです。
こんなご時世、特に日本人は真面目と言われ
完成や完璧を追い求めすぎて
自分を追い込んでしまう人が多いと言います。
でもさ、人生みーんな未完成よ?って思ってみ。
なんか今日はよく寝れそうでしょ??
頑張りすぎてしまうみんなと
もちろん自分自身も含めた世界中の人たちに
こいつが言ってるから今日はちょっと息抜きしてやろう、とかさ。
それだけでも人生ずいぶん違うからさ。
完成じゃないと正しくないだなんて
そんな悲しいことを言わせないために、願いを込めて
「未完成ポートレイト」と名付けたわけであります。
今回もまた長くなってしまったな。
話し出すと長いのはおなじみのことだけども。
